学ぶこと、それ自体が一番のエンターテインメントだ!

街場のキャンパスメンバー:あべりん

街場のキャンパスチームが、人生や仕事、今考えていることについて語るシリーズ。毎週、自身の言葉で「スタッフの想い」として記事を公開します。

探究って何?それは、いまおもしろいと思うことに全振りする生き方じゃないかな。

その意味でわたしのこれまでの半生はまさに探究といえるとおもいます。

 

小学生のころの私は、ボードゲームやコンピュータゲームにハマっていて、ホームセンターで木材を買ってきては、三目並べの立体版を創作したり、プログラミングしたゲームを友達に売ったりしていました。与えられたルールの上で遊ぶのではなく、自ら遊びを作り出すことが楽しかったんだと思います。

 

根っからのゲーマーだったわたしは、勉強することの意味が分からず、つまらないことを強要してくる教師(当時はそう思っていた)に腹を立ててばかり。そんなときに出会ったのが予備校の物理の先生でした。その方は、「受験のために勉強する必要なんかない。自分が面白いと思うことを突き詰めることが学びだ。」と教えてくれました。それまでモヤモヤしていた気持ちがいっきに晴れた瞬間でした。

 

すぐ母親に頼んで買ってもらったのが、『ファインマン物理学』というアメリカの大学で使われている教科書。それまで公式の暗記でしかなかった物理学が、万物を規定する自然法則の探究であることを知り、その世界にのめりこんでいきました。自ら勉強を始めてみると、いろんなことに疑問が絶えない。物理学のことばとして数学を見るようになると、それがまたおもしろい。このころから勉強が遊びに変わっていったんです。

いつか予備校講師になったときに使おうと、教科書を執筆しはじめる高校時代

晴れて希望の大学に進学できたわたしは、物理について語り合える仲間と出会えるとおもいきや、「本当は東大が第一志望だった・・・」とか、「物理が好きなわけではないが、いちばんできる科目だったから・・・」という人が多く愕然としました。偏差値至上主義の価値観の弊害を目の当たりにしたのです。今必要なのは、自分が好きなことにのめり込む学び舎であり、そのことを肯定してくれる大人なんじゃないかなと思います。

ちなみにわたし自身は、大学で出会った仲間と、隠れ家的セレクトショップ『ミューコンプレックス』を開業し、自ら学びの場を創出することにも取り組んできました。当時の事業計画書には、「ミューコンプレックスという媒体を最大限活用して個々が自己実現することを目指す。それぞれは会社のためではなく自らのために働く。その結果、よりよいサービス、独自の価値を提供できるようになり、事業も個人も成長できると信じているからです。」と書いてありました。20年以上も前の話ですが、いまも本質は変わらないと思っています。

事業計画を記したノートや、お店のコンセプトを紹介したフライヤーなど

その後、20年間は現役高校生のみを対象とする塾で、大学受験をゴールにしない人財育成をテーマに教室運営、カリキュラム開発などに従事してきました。当塾でとくに総合型選抜(旧AO入試)で受験する生徒を多く見守ってきた経験からいえることは、高校生の可能性は無限大だということです。このご時世、自分や日本の未来に夢や希望をもつことは難しくなりつつあるようですが、そんなことはない。ただ、想像力の翼を自由に広げて挑戦できるフィールドがいままでなかっただけなんだと思います。

こうして自分の半生を振り返り思うのは、やりたいことをやるのが一番学びになるということです。この辺は探究の精神として重要なことだと思っていて、自らやりたいことをやってもいいはずの探究学習の現場で、他人から与えられた価値観にあわせようと苦しむ子どもたちをみては違和感を覚えます。もっと自由に、もっと大胆に探究する子どもたちをわたしは応援したいと考えています。十人十色の人生を自由に生きる、そんな子どもたちと一緒に走り続ける大人になりたい。(自らが面白いとおもうことを突き詰めるのが学びだと教えてくれたあの先生のように)

 

そんな想いで、わたしは今日も街場のキャンパスで探究カリキュラムの開発に従事しています。

紅葉が広がる日本庭園にて