「街場のキャンパス」を通じて感じてほしいこと

執筆者:アイ・シー・ネット株式会社 山中裕太

私は、大学生の時に個別塾でアルバイトをしていました。その時に担当していた高校生が名古屋大学に合格した時のエピソードを今でも思い出します。担当生徒が私のもとに、入学試験の結果を共有するためにやってきたときのことです。彼の合格報告に対して、私は「よく頑張ったね。」と伝えると、彼は「いや、僕は全然頑張っていないんですよ。」と応えました。私は、それは謙遜に違いないと、「いや、よく頑張ったじゃないか。」と伝えると、それでも彼は食い下がってきました。「全然、努力していない。」のだと。なにかもやもやとした気分が残っていて、私はその後も約20年に渡ってこの出来事について、これはどういうことだったのか、呑み込めない気持ち悪さを抱えていました。そして、企業や大学、高校などを対象とした教育事業を長らく行う中で、ようやく合点がいく理路を見つけました。彼が私に言いたかったのは、費用対効果・時間対効果の高い「学び」を実践したのだ、ということだったということです。

社会人の半数以上は勉強時間ゼロ、平均を取ってみると1日の勉強時間はたった13分だけというデータがあります。仕事や家事で時間が取れないという理由もあるでしょうが、動画サイトで挙がっている「ファスト映画」や「ファスト読書」のような映画や書籍を10分程度の動画で要約し、説明する動画の流行を鑑みると、「投入量をできるだけ少なくして、最大の利益を得たい」という現代的なニーズが浮かび上がってきます。映画の豊かさや面白さは、そのストーリーはさることながら、外界から遮断された環境で一定の時間、それに集中し、登場人物に自身を重ね合わせてみたり、その時代に没入したり、または撮影技術や俳優の演技力に感動したり、という部分にあるのではないでしょうか。読書も同じように、その内容や物語を単にわかるということだけではなく、紙のページを手でめくる時にその紙質を指で感じたり、立ち止まりながら咀嚼することや穏やかな時間の中で読書に没頭したり、次の展開にワクワクドキドキし心を震わせたりすることもまた、魅力であるに違いありません。「ファスト映画」や「ファスト読書」には、そういった映画や読書の愉悦がなく、コンテンツ(内容)をできるだけ手っ取り早く理解することだけが目的化されています。勉強についても同様に、「どうやってできるだけ勉強しないですませるか」ということが背景にあって、先に挙げたような社会人の勉強時間ゼロ、平均時間が1日13分という状況があるのではないかと考えます。最も少ない努力・時間と引き替えに、最も高い報酬を提供してほしいという「費用対効果(コストパフォーマンス)・時間対効果(タイムパフォーマンス)の高い学び」は、投入量ゼロで得たい成果を手に入れることに帰結するのは当然です。約20年間にわたって私を悩ませた冒頭の高校生の発言の背景にも、そのような「費用対効果・時間対効果の高い学び」を誇示したい、そんな気持ちがあったのではないかと思います。


前置きがずいぶんと長くなってしまいましたが、私は、この「街場のキャンパス」を通じて、何かを知ったり、誰かと交流したり、現地で体験したりすることはそれ自体が愉悦に満ち満ちているということを感じてほしいと思っています。探究は一生涯続いていくものです。簡単に即決したり、解を出したりできるものではありません。頂上にたどり着いたと思ったら、その奥にもう一つ高い峠があり、途中でやめても誰も何も言わないけれども、登ってみたいと思えるようなものが探究だと思います。一生続いていくのであれば、それ自体を楽しみたいし、その楽しさを伝えたいと思います。

「街場のキャンパス」で提供するプログラムは、いずれも私たちも興味関心を強く持って知的に興奮しながら開発されたものです。「街場のキャンパス」をきっかけとして真の探究の楽しさを味わっていただきたいと思います。