兵庫県淡路市

阪神淡路大震災の
教訓を今後の災害に

~被災経験のない我々ができること~

#自然・環境
#教育活動
すべての人に健康と福祉を安全な水とトイレを世界中に住み続けられるまちづくりを
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今後30年以内の発生確率が70-80%と予想される「南海トラフ地震」。兵庫県では淡路地域で最大震度7、神戸市、阪神、播磨地域の広範囲にわたり最大震度6強の非常に強い揺れに襲われ、県内死傷者は約50,000人とされています。本プログラムでは、約30年前に発生した阪神淡路大震災の教訓から、防災意識を高め、どのように減災ができるかを考えます。県内の震災遺構をめぐり復興までの軌跡をたどったり、当時の被災状況について文献や聞き取りなどから明らかにしたりしながら、その教訓を抽出します。最終的には、学んだことを近隣の小中学校で防災教育を行い、アウトプットを行う予定です。現地学習では、1月17日に毎年行われている追悼式へ参加したり、淡路島の北淡震災記念公園を中心に学びを深めたりする機会を設けます。

阪神淡路大震災直後の商店街の様子

1995年1月17日5時46分52秒、マグニチュード7.3、震度7の兵庫県南部地震が発生。

この震災によって、近畿圏の広域が大きな被害を受けました。特に震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えました。犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。

避難場所の様子

全国から様々な形の「救援・支援」が寄せられた。

地震直後に現地において、被災者支援のボランティア活動に参加した人の数は1日平均2万人超、3か月間で延べ117万人ともいわれています。被災地でのボランティア活動の重要度に対する一般の認識も飛躍的に高まり、現地には行かずに被災負傷者のための献血・義捐金拠出・物資提供などの後方支援に携わった人々も含めると参加人数はさらに増えるものとみられます。このために、この年は日本における「ボランティア元年」とも言われています。

得られる体験

震災経験を後世に

阪神淡路大震災の被害現場に足を運び、被災者の声を聴くことで、当時の生々しい状況に想いを馳せます。また、それらの体験から感じたこと、学んだことを整理し、それらを後世に伝える震災教育を行うために、小中学生を対象とした震災教育コンテンツを開発し、防災意識を高める活動を行います。

1事前学習

被災者の声を「聴く」ために

被災者の声を「聴く」ための準備として、阪神淡路大震災の当時の様子を調べ学習したり、インタビューをする際の心構えやスキルについてワークを行ったりします。

2体験プログラム

北淡 震災記念公園

阪神淡路大震災の被害が大きかった現場へ赴いたり、震災記念公園や人と防災センターへの視察を行ったりしながら、当時の被災状況について理解します。さらには、被災者や語り部、地域コミュニティなどへの聞き取りを通じて、自分自身が体験したありのままの出来事を自分たちの言葉で語りを聴きます。それらを通じて、今後の災害に向けた防災教育のコンテンツを作成します。

3事後学習

学校での防災教育

体験プログラムで作成した防災教育のコンテンツを近隣の小中学生に提供したり、自身の防災に対する意識を高めるためのアクションプランづくりを行ったりします。

プログラム スケジュール

下記は一例であり、要望に応じて半日/1日のアレンジもできます

  • 1日目

    午後:オリエンテーション/兵庫県内の震災遺構視察(長田、三宮など)
  • 2日目

    午前:淡路島へ移動/北淡震災記念公園視察
    午後:語り部交流/地域コミュニティ交流/サバイバルキャンプ 
  • 3日目

    午前:神戸市へ移動/阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター視察
    午後:震災教育団体交流/防災教育コンテンツの作成
  • 4日目

    午前:防災教育の実施/リフレクション

【備考】

プログラム内容例に記載された3泊4日の日程、訪問先、体験場所、所要時間等については、教育旅行の実施時期、訪問先様の諸事情、交通事情等により変更が生じる場合がございます。あらかじめ了承いただけますようお願い申し上げます。

阪神淡路大震災と兵庫県

阪神・淡路大震災(1995年1月17日発生)は、内陸で発生した直下型地震で、淡路島北部を震源としていました。破壊した断層付近で大きな揺れを生じ、神戸市を中心とした阪神地域や淡路島北部で甚大な被害を受けました。この地震は、大都市を直撃したため、電気、上・下水道、ガス、電話などのライフラインに壊滅的な打撃を与えました。また、古い木造住宅の密集した地域では広範囲な倒壊や火災が発生し、公共施設や市場、商店街、工場、事務所なども倒壊・焼失しました。この地震による死者数は6,434人にのぼり、家屋の全壊は10万戸に達しました。被害総額は約10兆円に上り、日本が経験した戦後最大規模の自然災害となりました。